相手の立場で考えるということ〜自分が思うほどには出来ていないと考えるくらいでちょうどよい〜

退職・独立が目前にせまり、いろいろな事務作業や手続きをこなしています。

手続きをする側になってみると、分かりにくいことや初めて知ることも多く、「相手(当事者)の立場で考える」ことの難しさを改めて感じたりしています。

本気で相手の立場で考えているか

「相手の立場で考える」ことが大切であるのは、言うまでもありません。

では、どこまで相手の立場で考えれば良いのでしょうか。

例えば、自分の専門分野のことを説明し、理解してもらおうと思った場合、
・自分が思っている「十分」レベルの説明
・相手の感じる「十分」レベルの説明
は合わないことが多いのではないかと思っています。

ある1つのことを伝えるにしても、
・(専門家として)その背景にある10のことを知ったうえで、その「1」を伝える。
・(素人として)その背景も知らず、自分が「0」の状態でその「1」の説明を受ける。
この両者のギャップはかなり大きいです。

素人からすると、説明で使用される用語自体が分からないということも多いですね。

自分が伝え手の場合、本気で相手の立場で考えようとしなければ、このギャップを埋めることは難しいのではないでしょうか。

そんなことを考えたきっかけ

今回退職するにあたり、退職金の説明を受けた際にこの「相手の対場で考える」ことの難しさを感じました。

社内規程に沿った支給となるため、その規程通りにexcelが作られているのですが、その内容が少し誤解を与える可能性があるものだったのです。

・規程通りだから間違いではない。
・ただし資料の表現が、個人が損をしていると勘違いしやすいものになっている。
というのが原因でした。

今回、事務を行う側に落ち度があったわけではありません(規程通りの資料ですから)が、退職者が誤解しにくいような資料の作り方をしておけば、もっと良かったのかもしれません。

ただし、「自分が退職者の立場になったときにどう感じるか?」が想像できないと、なかなか難しいところではないかとも感じています。

自分が思うほど出来てないと考える

自分の対応や説明が十分かどうかを考える場合、「自分が思うほどには出来ていない」と考えるくらいでちょうど良いのかもしれません
ギャップは付き物ですし。

それでも
「本気で」相手の立場で考えようと努力する(トレーニングを積む)。
ことを続ければ、徐々に意識を変えていく(高めていく)ことくらいはできるようになるのではないでしょうか。

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【編集後記】

昨日は朝から雪が降りました。
いつもと同じ朝早い電車でしたが、早めに行こうとする通勤客で普段の3割増くらいの混雑でした。

【昨日の1日1新】
*「1日1新」とは→詳細はこちら

ローストアマニ入り16穀おにぎり 鮭わかめ
チーズをのせたハム&マヨパン

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